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母の法事

母が亡くなり早一年になります。

家族に親戚と集まり、お墓参りに行きました。

みんなで集まるととても賑やかで楽しいです☆

でも、やはり母の話になるとみんな寂しいような悲しいようなそんな表情になります。

そんな大人達とは違い、子供達は大はしゃぎで遊びまくってましたね・・・笑

 

去年の今頃は母はテンションも高くもの凄く元気でした。

正確に言うと薬でそうなっていただけでした・・・。

それを知らない私たちは

元気になるんじゃないか?

退院して家に戻れるんじゃないか?

などと、喜んでいました。

 

しかし

 

その10日後に母は亡くなりました。

 

毎年、この時期はあの時の母を思い出しそうです・・・涙

母の誕生日・入院・悲しい思い出

去年の今日、

母は肺(呼吸)が苦しいと言うことで、父と病院に行きました。

この日は母の誕生日でした。

 

病院に行くと母はチューブで肺に溜まった水を外に出していました。

 

母は「誕生日に嫌になっちゃう・・・」と言っていました。

私は「症状が楽になるプレゼント。」「体が良くなるプレゼントをもらったと思えば良いよ。」

などと、2人で笑いながら話していました。

軽く処置をすればまた、家に帰れると母も私も思っていたからです。

 

しかし、母は家に帰ることなく亡くなりました。

 

今日、母の仏壇に線香をあげ、誕生日おめでとうと言いました。

 

家族大集合!

今日はわが家に家族が勢揃いしました。

一緒に住んでいる父・兄

長男夫婦と2人の子供

姉夫婦と2人の子供

そして私の家族

これだけ揃うともの凄くにぎやかです・・・笑

 

大人たちはおしゃべり。

子供たちは親なしでも遊べる年になってきたので、みんなでバタバタと騒ぎ遊んでいました☆

 

毎年 新年はみんなで集まるのですが、去年母が亡くなり、初めての母のいない集合になりました。

母の話になるとやはりまだ、みんな悲しい寂しい表情になっていましたね・・・涙

 

そんなことも気にせず、母の仏壇のある部屋で大暴れする子供たち・・・笑

天国の母もそんな状況を笑いながら見ていたと思います。

 

夢・母・警告

今日は夢のお話です。

母が亡くなってから、母がでてくる夢は1~2回おそらく見ました。

でも、ほとんど内容も覚えて無く、とくに気になるような夢でもありませんでした。

 

しかし、今回見た夢はなんだかすごく印象に残ったので、記録がてらブログに書くことにしました。

 

背景は真っ白・・・イメージとしては真っ白な雲の上にいるような感じ。

そこにすごい高い高層マンションが一棟だけ建っていました。

その周りではおじいちゃん・おばあちゃんが数人いて楽しそうに笑ったり話したりしていました。

ゴルフの打ちっ放しをしている人もいたかな・・・笑

その一角にちゃぶ台がありそこに母がいました。

夢の中の私が帰ろうとすると、

母が、「帰る前にお茶を入れてきてよ。」と言ってきました。

夢の中の私は帰られるのが寂しいのかな・・・と思い、お茶を持っていきもう少しいることにしました。

すると、母はずっと私の一番上の兄の健康や病気が心配だと私に言い続けるんです・・・。

そこで、夢は終わるんですが、やたらと気になるので兄に健康管理・病気には気をつけてね。と伝えようと思っています。

 

それにしても、あの空間・場所・・・本当に不思議な場所でした。

母にたくさん話したかった、見て欲しかった・・・。

9月7日に息子の初めての大きなダンス発表会があります。

今からちょっとドキドキです(^_^;)

生前、母は社交ダンスにフラダンスと踊りが大好きでした。

そんな母の勧めもあり息子にダンスを習わせはじめました。

母の体調が悪かったので、息子のダンスの練習風景を一度も見せられずに終わってしまいました・・・涙

今回のダンス発表会も母に見てもらいたかったイベントの1つでした・・・

 

来月には息子の最後の保育園での運動会

娘は初の運動会です。

去年の運動会、母は体調が悪いにもかかわらず、あと何回孫達の運動会を見られるか分からないからと、がんばって見に来てくれました・・・

しかし、あれが母の見てくれる運動会は最後でした・・・。

 

子供たちの成長を感じた時

子供たちのイベント

子供たちのおもしろかった出来事

母にたくさん話したかったし、見て欲しかった・・・。

 

母が亡くなってから約半年

まだ、ふと寂しくなり悲しくなりますね

母と娘

みなさんはおじいちゃん・おばあちゃんはご健在ですか?

残念ながら亡くなってしまった方、おじいちゃん・おばあちゃんのことをどれぐらい覚えていますか?

 

私は父の方のおじいちゃん・おばあちゃんは全然覚えていません・・・。

母の方はおばあちゃんは覚えていますがおじいちゃんのことは全然覚えていません。

 

そのことを考えると今年亡くなった母のことを息子と娘の記憶の中に残らないんじゃないかと少し寂しい気持ちになりますね・・・涙

息子は5年間、娘は2年間しか母と接することができませんでした。

しかし、なぜか母が亡くなってから母の名前を1番言うのは娘なんです。

不思議なような嬉しいような怖いような事も言っていましたね。

娘が部屋でずっと1人で遊んでいたので、

「1人で怖くなかったの?すごいね!」と私が言うと・・・

娘が「かよちゃんが見ててくれるから怖くない。」と言いました。

う~ん・・・母親だがちょっと怖いセリフ・・・笑

 

おままごとをしてる際に私・嫁・息子・じいちゃん・更に母の分も食器を用意してくれます。

何かあると「かよちゃんにおやすみする。」「おはようする。」などと言って仏壇に線香をあげに行ってくれます。息子もはじめは楽しんでやっていてくれたんですが、今ではちょっとも線香をあげに行きませんね。飽きたみたいです・・・笑

まぁ、今後成長と共に母に対する記憶は薄れていくと思いますが、記憶の片隅にでも残ってくれれば嬉しいですね。

母・四十九日・納骨・開眼供養

母が亡くなり四十九日が過ぎ、納骨・開眼供養を行いました。

 

今日は母の日と言うこともあり、お墓には白いカーネーションをみんなで飾りました。

四十九日はあっという間でしたね。

その間、私は母のパソコンを整理していたのですが、

生前、母が家族や友達を撮り続けていたデジカメの写真がでてきました。

家族や友達などフォルダー分けされていて、更に生年月日に場所ごとにちゃんとフォルダー分けされていました。

私などは何かのイベントがあったりおもしろい瞬間などしか子供たちを撮っていなかったんですが、母は普段の何気ない瞬間も子供たちを撮っていたので、今見るととても貴重な写真や動画がたくさんありました。

母が息子や娘を抱っこしている写真や、動画で私の名や息子・娘の名を呼ぶ母の懐かしい声を聞くと涙が止まりませんでした。

本当に家族や友達を大事にしていたんだと実感しました。

 

日がたち少しは気持ち的に落ち着いてきましたが、まだまだ母を思い出すと涙が出そうになりますね。

母・看護婦さん・ありがとう

母は亡くなるまでに癌で2度入院しました。

その時に多くの看護婦さんにお世話になりました。

特に2度目の入院の時は私は母が亡くなる日まで約50日間毎日病院に行っていたので、看護婦さんの大変さやすごさがよくわかりました。

母は寝返りもできなくなっていたので、寝る体勢を作るために数分単位でナースコールを押していましたし、トイレと排泄の世話などもしてもらっていました。

夜中など怖い時はずっと手を握っていただいたそうです。辛い時には話し相手にもなってくれていたそうです。


看護師さんや介護士さんは感情が入ると仕事が長く続かないので、言い方は悪いですが患者を物としてみると言う方もいるようです。
実際に感情が入りすぎて患者さんが亡くなって鬱になる方も大勢いると聞きます。なので、そう言った考えも間違えではないのかもしれませんね。

しかし、母を担当してくれていた看護婦さんたちは本当に母に良くしてくれていたみたいで、母はいつも看護婦さんたちに感謝していました。
一度、母に頼まれてお礼を込めて看護婦さんの肩をボディケアしました。
若いだろうにすごいコりでしたね。話しを聞くと「すごく体も心も疲れる仕事なんです。」と言っていました。


看護婦さんは大勢いるのにどんな運なのかわかりませんが、母がなくなった日の担当は母がとてもお世話になり1番感謝していた人でした。
その方はいつもとても優しく母に接してくれていました。

母が亡くなりその方が母の衣装も化粧もしてくれました。

病室から病院の駐車場まで母を運ぶ時にその方も一緒に来てくれました。

ふと、その看護婦さんを見ると泣いていたのです。
母のことを感情を持って接していてくれたんだなと、感動と感謝でその姿を見た瞬間に私は号泣しました。


その他にも
母の一時帰宅を悩んでいた時に相談にのってくれたり、
包帯の巻き方や介護のやり方などいろいろ教えてくれた方もいました。


母を最後までお世話いただき深く感謝申 し上げます。

母・友人達・感謝

自己紹介で二世帯の家に私の家族4人と父と兄と住んでいると書きましたが・・・

本当は、ここに母もいました。

母は、子宮頸癌になり約4ヶ月間入院し、なんとか退院できました。

その後、母の面倒を見るためにも2世帯の家を購入しよと決めました。

 

母は、3ヶ月だけ新居に住みその後また入院し、約50日後の今年の3月25日に亡くなりました・・・

 

母はとても人望が厚く、家族はもちろん親戚から友人までみんなに好かれていました。

2回目の入院の時、病院に泊まれるように個室にしてもらったのですが、家族だけではなく、友人までもが泊まってくれたのです。

ほぼ毎日、代わる代わる母の友人達は来てくれました。

母も本当に嬉しそうに話し笑っていました。

 

そのおかげで母は亡くなる前日でも笑っていました。

母を思い出す時、病気で苦しむ顔ではなく、その笑顔を思い出します。

本当に母の友人達には感謝の気持ちでいっぱいです。

 

母の前では笑顔で楽しく話し、母を元気づけ笑顔にしてくれていた友人達ですが、たまに病室を急に出たりするんです・・・。

私はトイレやちょっとした用事だと思っていました。

しかし、たまたまその現場に居合わせた時に私は見ました・・・

母の友人達は病室から出ては泣いていたのです。

母の前では明るく元気に接してくれ、かげで泣いていたのです。

 

母は、病気になる前この友人達約10人と定期的に会い、おしゃべりしたり、旅行したりとても楽しんでいました。

その他にも海外に行ったり、社交ダンスにフラダンスなどもやり、子供4人に孫6人にも恵まれ65歳とはやく亡くなりましたが、とてもいい人生を歩んだと思います。

・・・・・でも、私は母ともっといっぱい一緒に笑いたかったし、もっといっぱい話しをしたかった。もっといっぱい子供達の成長を楽しんで欲しかった。もっと一緒にいて欲しかった・・・。

死とは本当に悲しいものですね・・・。